Nゲージ 特急「富士」 昭和7年 7輌セット / スイテ37000(スイテ38)   2023年12月発売


K1198 特急「富士」 昭和7年 7両セット 組み立てキット  [\27,200+税] 

●昭和7〜9年頃の、二等車以外は3軸ボギー客車で揃った特急「富士」編成の6形式7輌のフル編成とした製品です。
(カニ39550+マロネ37350+マロネ37350+スロ30750+スシ37740+マイネ37130+スイテ37000)
●本セットは、客車キットの単品を詰め合わせにした内容のため、屋根・床板・台車などのパーツ類は客車単品と同様、別途購入となります。
(セットと単品では、セットのほうが僅かに割引き(\700)されているのと、外箱の有無以外は同一です) 
●イベント・通販では、カニ39550(カニ29 11〜)をカニ39500(カニ29 1〜)に変更しての販売もできます。(外箱は通常品と同一になります)

■別途購入品
【屋根・床下など】 (小計\25,300)
K4036 二重屋根客車プラパーツセット ×4  (\3,000×4 \12,000)
K4034 客車床下機器セット  (\1,200)
K4038 客車床下機器セットB ×3  (\1,200×3 \3,600)
K4011 小形タンク  (\500)
K4037 ガラベンセット   (ステップ・行灯)  (\800)
K3059 プラ床板用TR71台車 ×2  (\900×2 \1,800)
K3060 プラ床板用TR73台車 ×4  (\900×4 \3,600)
K3091 雨樋  (\1,200)
(任意) K3107 屋根取付ネジ(低頭) (M1.4×2.5mmネジ) (10本入) ×2  (\300×2 \600)

【インレタ】 (\700×3 小計\2,100)
K3073 等級標記・スニ41他インレタ(黒)  
K3076 W荷物車インレタ  
K3083 富士(昭和5年)インレタ  

【内装】 (\600×6 小計\3,600)
K4001 展望車用シート・寝台 ×2
K4003 転換クロスシート
K4013 食堂車テーブル・イス
K4015 戦前形ロネ用寝台 ×2
◆ここまでの必要パーツ合計で、税別\31,000となります。

(任意) K3501 3軸台車補助動力  ×1〜2  (\8,900×1〜2)
(任意) 【別貼り ウインドシル・ヘッダー】 
 K3103  ウインドシルA(幅広) (7.5輌分入)  
 K3105  ウインドヘッダー (9輌分入)

GM製<5024>TR23
GM製<8612>貫通幌(グレー) ×2 (または<8611>貫通幌(ブラック) ×2)
●各社 片側絶縁車輪 12ヶ
(中空軸車輪の場合、台車側梁と枕梁の間をテープで絶縁し、台車片側は「K3502 プラネジ」で固定)
●各種カプラー   13ヶ
●透明プラ板、塩ビ板など


 特急「富士」は、明治45年(1912年)6月15日、新橋−下関間に新設された初の特急、1・2列車が前身で、当時の日本を代表する列車でした。
 1・2列車は終着駅の下関からは、九州への連絡よりも関釜連絡船による釜山への接続を重視し、そこから朝鮮、中国へ、さらにはシベリア鉄道でヨーロッパに達する国際列車としての使命を帯びていたため、客車は全て専用車として新製され、寝台車・座席車とも全て一等車と二等車で編成されていました。
 その後、大正3年(1914年)12月の東京駅開業に伴なって運転区間は東京−下関間に変更され、昭和4年(1929年)9月15日には、1・2列車が「富士」と命名され、同時に命名された3・4列車「櫻」と共に、初の列車愛称となりました。同年11月7日からは両列車の最後部にテールマークの取付を開始し、「櫻」は三等の赤帯を象徴する、赤を基調としたものとなったのに対し、「富士」のテールマークは、一・二等の白・青帯を象徴する、白と青を基調としたものとなりました。
 「富士」と命名後、昭和5年(1930年)4月からは編成の全車が鋼製客車に置換えとなり、「富士」用として一等展望車スイテ37000形、特別室付の一等寝台車マイネ37130形などが新製されました。スイテ37000形は3輌しか製造されなかったため、予備車には従来の木製展望車オイテ27000形が使用されましたが、昭和5年12月には桃山式の展望室が特徴のマイテ37010形が登場し、スイテ37000形と共に使用されるようになりました。
 昭和5年10月1日には、東京−神戸間に特急「燕」が新設されましたが、「富士」から「燕」への旅客の転移が見込まれたため、それまでの11輌編成から7輌編成に短縮されました。
 昭和9年12月1日から、丹那トンネルの開通により東海道本線は現在と同じ熱海経由となり、この時から、それまで三等車のみの編成だった「櫻」に二等車と二等寝台車が連結されるようになり、反面、「富士」は二等寝台車が減車されて三等車と三等寝台車が連結された10輌編成となり、運転開始以来の一・二等編成から各等編成に変わりました。「富士」の三等車は当初スハ32800形が使用されましたが、昭和10〜11年に「富士」用として新製された三等車スハ33000形(後のスハ33900形→オハ34形)に置き換えられ、その後、他の車種についても新形式への置き換えが進み、食堂車はスシ37800形を経てマシ37850形に、展望車はスイテ37000形に代わってスイテ37040形が、マイテ37010形と共に使用されるようになりました。
 その後、昭和17年(1942年)11月15日には関門トンネル開通により運転区間が東京−長崎間に延長されましたが、昭和18年(1943年)7月の第一種急行への格下げ、同年10月1日の東京−博多間への運転区間短縮を経て、昭和19年(1944年)4月1日には運転休止となり、同年10月1日に正式に廃止となりました。







K1001 スイテ37000(スイテ38) 組み立てキット  [\4,500+税]  



●特急「富士」用の展望車スイテ37000を模型化。
 特急「燕」用に改造されたスイテ37030や、その後身のマイ98としても製作できます。
●展望デッキは洋白製で繊細に再現。
●区分室等仕切はスイテ37000の他、スイテ37030・マイ98用も付属。
本製品は別付けの二段雨樋を取付けなくても製作できます(二段雨樋は別売となります(K3091))




本製品の内容です。
煤除けの網戸や、スイテ37030・マイ98用の仕切も付属します。
テールマーク図柄のシートも付属しますが、シールではないので、使用する場合は切り抜いて接着してください。


■別途購入品
【屋根・妻板・床板・ベンチレーター】  (半ガラは14ヶ使用)(スイテ37030は16ヶ)
 K4036  二重屋根客車プラパーツセット (各2輌分入) 
【床下機器】
 K4034 客車床下機器セット (2輌分入)
【小型タンク(温水器)】
 K4011 小形タンク (8輌分入)  (K4029・K4033の切妻屋根にも付属)
【台車】
 K3060 プラ床板用TR73台車 
●各社 片側絶縁車輪 6ヶ必要
 (中空軸車輪の場合、台車側梁と枕梁の間をテープ等で絶縁し、台車片側は「K3502 プラネジ」で固定)
●各種カプラー(いずれか1〜2ヶ) 
 KATO製 カトーカプラーN(黒) 11-702
 GMまたはKATO製 アーノルドカプラー(要スプリング)
【展望デッキ下ステップ・アンチクライマー・行灯】
 K4037 ガラベンセット
【内装】
(スイテ37000) K4001 展望車用シート・寝台 2組 + K4014 大型ボックスシート
(スイテ37030) K4001   
(マイ98) K4001 + K4013 食堂車テーブル・イス

【インレタ】
□形式  
●K3083 富士(昭和5年)インレタ (スイテ37001用 1輌分、「車掌」標記(白))
●K3077 W寝台車2・展望車インレタ (スイテ37000用 1輌分入)      
□窓下の標記類[黒] 
 K3073 等級標記・スニ41他インレタ(黒)
□窓下の標記類[白] 
 K3065 等級標記他インレタ (形式にK3077使用時「車掌」が必要)
【幌】 
 GM製<8612>貫通幌(客車・旧国型 グレー)  または<8611>貫通幌(客車・旧国型 ブラック)
【窓セル】
 透明プラ板、塩ビ板など

(任意) 【二段雨樋】
 K3091 雨樋 (6輌分入)
(任意) 【屋根取付ネジ(低頭)】
 K3107 屋根取付ネジ(低頭) (M1.4×2.5mmネジ) (10本入)
(任意) 【別貼り ウインドシル・ヘッダー】 
 K3103  ウインドシルA(幅広) (7.5輌分入)  
 K3105  ウインドヘッダー (9輌分入)
(任意) 【網戸】(本製品付属の大小8枚で不足の場合) 
 K3925 客車網戸(イネ・ロネ他)
(任意) 【デッキ扉開放用部品(上級者向け)】 
 K3923 二重屋根客車デッキ開放用部品


 スイテ37000形は、特急「富士」で使用されていた木製の一等展望車オイテ27000形の置換えのために昭和5年3月に3輌が製造された、鋼製客車初の一等展望車です。この形式の基本的な室内配置はオイテ27000形と同様で、編成中に一等寝台車を連結するため区分室のない構造でしたが、一等室の隅にカウンターを設けたのはオイテ27000形と異なります。一等室には回転腰掛が9人分と、二等車用と同じ固定腰掛が設けられ、定員は一等室13人、展望室11人です。展望室は洋式構造で、後に登場するスイテ37010形の純和風の桃山式とは大きく異なる内装となっていました。
 昭和6年9月には、特急「燕」用としてスイテ37002に区分室を設ける改造を行ない、スイテ37030形となりました。この区分室はマイネ37130形(後のマイネ38→マロネ49形)に準じたもので、車内中央部のカウンターと回転腰掛を撤去して、3人用と6人用の各1室が設けられましたが、寝台の設備や洗面台は省略されました。区分室の後位寄りには開放室も設けられ、元の回転腰掛と固定腰掛を撤去した跡に、新たに回転腰掛が7人分設置され、一等室の定員は16人となりました。なお、スイテ37030形の外観は、区分室の設置に伴ってベンチレーターの追加と移設が行われたこと以外、スイテ37000形当時と変化はありませんでした。
昭和9年には、スイテ37000形のカウンターが撤去され、その跡に3人掛の長椅子を設け、回転腰掛も1組追加されたため、定員は17人に増加しました。
 スイテ37000形は昭和5年4月から「富士」に連結を開始し、13年9月にスイテ37040形に置換えられるまで使用されました。その後は急行7・8列車の京都−下関間で使用され、昭和16年10月にスイテ38形となっています。スイテ38 1は昭和21年に連合軍に接収されて司令官専用客車として大改造され、27年に返還されましたが休車となり、31年にオシ17形に改造されました。スイテ38 2は昭和24年に特急「へいわ」用として室内や窓配置の改造を行ってマイテ39形(マイテ39 21)となり、35年まで特急「つばめ」で使用されましたが、36年2月に廃車となりました。
 スイテ37030形は、昭和16年10月にスイテ47形となって「燕」廃止まで使用されました。昭和21年に連合軍総司令部(GHQ)の民間輸送局(CTS)の地方視察用として整備され、車内は一等室を撤去して区分室寝台が設けられるなど大幅に改造されましたが、この車輌は連合軍専用車ではなかったため、従来と同様の塗色(ぶどう色に白帯)のままで、車体中央に国鉄の略号の「J.G.R」の標記がされていました。昭和25年6月にマヤ47 1(特別職用車番号 マヤ2)となり、28年3月には外国人観光客貸切などの特別営業用のマイ47形に(実際にはこれより前に標記を変更)、さらに同年6月にはマイ98形となりましたが、31年にオシ17形に改造されて姿を消しました。




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