■マニ36(スロネ30改)

 マニ36 334(晩年、荷物扉中桟あり)


 マニ36 2337
 ※マニ36 2332・2337の2輌の公式側窓配置は本製品と同一で、 非公式側は便所窓の位置のみ異なります。

P-326 T 台車別・トータルキット

2008年9月発売
\5,250 (本体 \5,000)
SP-326 A マニ36 2333(扉中桟なし)
ぶどう色2号
荷物扉中桟なし,
電暖付,Hゴム黒
「津軽」,
普通列車など
2009年発売
\18,900 (本体 \18,000)
当店のみ販売
B マニ36 334(扉中桟あり)
ぶどう色2号
荷物扉中桟あり,
Hゴム灰色
荷物列車

製品の特徴
■優等車などから改造された荷物車マニ36のうち、昭和44〜45年にスロネ30から改造されたグループを製品化。
 厳密には、スロネ30改造のマニ36 2332〜2337のうち、図面と異なり貴重品室窓と便所窓位置が同一となっている4輌(2333〜336)を模型化。
 床下機器・ベンチレーター配置の作り分けで、マニ36 2333〜2336のいずれにも製作可能。
■晩年のマニ36 334に取付けられていた、中桟付の荷物扉も付属。
■側板・妻板は真鍮エッチング板製、屋根・ベンチレーター・床板・床下機器はプラパーツ。

[別途購入品]
GM製  ●TR23台車
当社製
 ●KP-082 銀河(昭和27年)・荷物車他インレタ
 ●KP-065 等級標記他インレタ

 マニ36形は、昭和41〜52年に余剰の優等車などを改造した荷物車で、種車となった形式はスロネ30・スロ34・オロ35・オロ36・オロ40・スロ50・スロ60・スロハ31・スロハ32・スハ32・オハ35・スハニ35形の12形式にのぼり、計237輌(書類上)が登場しました。
このうちスロネ30形の改造車は、マニ36形の最終グループとして昭和44・45年に2332〜2337の6輌が登場しました。スロネ30形の窓配置は1200o幅の広窓主体で特殊だったためか、元の窓配置はほとんど生かされずに700o幅窓と450o幅窓が設けられ、新製車のような車体となりましたが、床下の水タンクは車体外方に寄せられたものが1つ残され、この部分にはスロネ30形当時の面影が残っていました。この水タンクの配置は荷物車としては珍しく、このグループにおける大きな特徴となりました。
 スロネ30形改造のマニ36形の形態は、改造工場によって次の2種類に大別できます。
  ■大宮工場改造車(マニ36 2332・2337)
   図面通りの窓配置(公式側の貴重品室窓と非公式側の便所窓位置をずらして配置)、
   ベンチレーター配置も図面通り(5ヶ所)、電池箱は従来の大型のものに代わり、小型のものを2つ新設
  ■多度津工場改造車(マニ36 2333・334〜336)
   非公式側が図面と異なる窓配置(貴重品室窓と便所窓位置が同一)、
   ベンチレーター配置も図面と異なる(6〜5ヶ所)、電池箱はスロネ30形当時のままの大型が1つ ※336の形態は推定

 マニ36(スロネ30改造車)の登場後は、急行「津軽」や普通列車、荷物専用列車などで使用され、昭和59年に2輌が廃車となり、1輌が救援車オエ61形に改造されたほかは昭和61年の荷物列車廃止まで残存しました。同年に1輌が廃車となりましたが、残る2輌のマニ36 2333・2337は、国鉄分割民営化後も大宮工場の入出場用控車としてJR東日本に引き継がれました。マニ36 2333は平成元年に廃車となり、最後に残ったマニ36 2337は長期の休車を経た後の平成7年に廃車されてマニ36形は形式消滅し、在来形客車最後の荷物車が姿を消しました。




■スハ32ノーヘッダー

 原形扉付の車輌


 木製高窓扉付の車輌(スハ32 572など)


P-475 T 台車別・トータルキット


2008年9月発売
\4,830 (本体 \4,600)
SP-475 A スハ32800 ノーヘッダー
ぶどう色1号・赤帯
登場時
(昭和12年〜)
電池箱大型 「富士」または「櫻」山陽線内増結用,
急行・普通列車
2009年発売
\16,275 (本体 \15,500)
当店のみ販売
B ぶどう色1号 標記は
昭和27年以降
電池箱小型 「エルム」,普通列車など
C ぶどう色2号 昭和34年頃以降
普通列車

製品の特徴
■スハ32丸屋根車のうち、試作的にノーヘッダー車体で登場した、スハ32 367〜376・569〜578を製品化。
■リベットなし・ノーヘッダー、側窓上隅部のRなどの特徴を再現。
■デッキ扉は原形木製扉と木製高窓扉(窓枠有無の選択可)が付属。
■側板は真鍮エッチング板製、妻板・屋根・ベンチレーター・床板・床下機器はプラパーツ。

[別途購入品]
GM製  ●TR23台車
当社製
 ●KP-066 普通車用インレタ1(32・35・61系他)
 ●KP-065 等級標記他インレタ …ぶどう色2号は不要
 ■KPP-005 普通車用ボックスシート 取付可能

 スハ32形の丸屋根車は、昭和7年にスハ32800形として登場し、昭和16年までに727輌が製造され、昭和16年10月にスハ32形(137〜863)となりました。これらは基本的に、スハ32600形の二重屋根を丸屋根に変更した車輌で、600o幅の狭窓を2つ1組で並べた形態や、ベニヤ板張りの座席背ずりなどを踏襲していますが、昭和8年頃以降の製造車は座席背ずりがモケット張りに変更されました。
 このスハ32800形の一部は、試作的に車体のリベットのない全溶接構造で製造されましたが、そのうち、昭和12〜14年に小倉工場で製造されたスハ33030〜33039・33232〜33241(→スハ32 367〜376・569〜578)の20輌は、ウィンドヘッダーが外部に見えない構造(ノーヘッダー)とし、窓上隅部に小さいRが付けられていました。なお、スハ33030〜33039は、スハ33024〜33029(→スハ32361〜366 リベットなし)と共に、特急用として広島鉄道局に配置されましたが、使用列車や編成については不明です(特急「富士」または「櫻」の山陽本線内増結用として使用された可能性もあります)。
スハ32800形のノーヘッダー車は、特急のほか、急行列車などでも使用されたと思われますが、戦災で4輌が廃車となり、1輌(スハ32 569)が連合軍用に接収されました(昭和30年3月に返還後、同年11月にスハ32形へ復元)。その後は普通列車を中心に使用されましたが、昭和30年代後半から開始された近代化工事の対象とはならず、昭和42年から廃車が始まり、最後まで残ったスハ322576も昭和49年3月に廃車となりました。
 また、他形式に改造された車輌としては。以下の2輌が存在しました。
●昭和42年8月、スハ32 572を救援車に改造してスエ31 26となりました。この車輌は、スエ31形としては唯一のスハ32形改造車で、ノーヘッダーの車体に窓のない両引戸が追加されて異色の形態となりましたが、昭和60年7月に廃車されました。
●昭和44年12月、スハ32 2569の台車をTR23からTR40(TR47に近似)に交換してスハ33 2569となりましたが、昭和48年8月に廃車となりました。
なお、書類上では、昭和43年5月にスハ32 368の台車をTR23からTR11に交換してオハ56 27となっていますが、改造から約1ヵ月後に廃車となっていて(これも書類上)、実際には改造が行われずに廃車となった可能性が高いようです。




■スユニ72/マユニ78 丸屋根

 スユニ72 28など(TR23台車)


 マユニ78 21(TR73台車)

P-602 T 台車別・トータルキット


2008年9月発売
\5,250 (本体 \5,000)
SP-602 A スユニ72丸屋根
ぶどう色1号 
登場時
(昭和28年〜)
TR23台車 普通列車など
2009年発売
\18,900
(本体 \18,000)
当店のみ販売
B スユニ72丸屋根
ぶどう色2号
昭和34年頃
以降
C マユニ78 9ぶどう色1号
(TR71台車)
登場時
(昭和28年〜)
TR71台車
魚腹台枠
電池箱小型4ヶ
「すずらん」「はまなす」
普通列車など
2009年発売
\19,950
(本体 \19,000)
当店のみ販売
D マユニ78 9ぶどう色2号
(TR71台車)
昭和34年頃
以降
普通列車など
E マユニ78 21ぶどう色1号
(TR73台車)
登場時
(昭和28年〜)
TR73台車
F マユニ78 21ぶどう色2号
(TR73台車)
昭和34年頃
以降


製品の特徴
■戦災復旧郵便荷物車スユニ72と、同形の車体で3軸台車のマユニ78のうち、窓配置は形式図通りで、屋根端部の形状が原形のままの車輌を製品化。
 TR23台車使用でスユニ72 3・7・10・14・27・28、TR71台車でマユニ78 9、TR73台車でマユニ78 21となります。
 (これらの他にも、この形態の車輌が存在した可能性もあります)
■本製品の窓配置は、発売中のスエ78 15と同一ですが、票挿類・デッキ扉・貫通扉を変更し、郵便差込口を追加したエッチング板を新規に製作しました。
■側板は真鍮エッチング板製、妻板・屋根・ベンチレーター・床板・床下機器はプラパーツ。

[別途購入品]
GM製  ●(スユニ72) TR23台車
KATO製 ●(マユニ78 9・21) 片側絶縁車輪
当社製
 ●(マユニ78 9) KP-059 プラ床板用TR71台車
 ●(マユニ78 21) KP-060 プラ床板用TR73台車
 ●KP-082 銀河(昭和27年)・荷物車他インレタ
 ●KP-065 等級標記他インレタ
 ●KP-070  郵便車用インレタ1(切妻・10系)

 戦後の混乱期の輸送力不足を補うため、応急的にオハ70形(17m)・オハ71形(20m)・オハ77形(20m・3軸台車)などの戦災復旧客車が登場しましたが、これらの内装は板張りのロングシートに、電車と同様の吊り輪が多数付き、天井の内張りは省略されるなど、一般的な客車よりも大きく見劣りするため、昭和25年以降、荷物車への改造が進められました。その後、オハ71形の残存車は、全車が当時の新製車に準じた郵便荷物車に大改造されることになり、昭和28・29年にスユニ72形として40輌が登場しました。
 スユニ72形は戦災復旧車としては珍しく、雨樋や妻面の縦樋が設けられ、屋根・妻面はスハ42形などと同様の半切妻構造となったため、側窓が二段のままだったことを除けば新製車と大差ない形態となりました。この形式には変形車も多数存在し、原形の丸屋根を残したままの車輌が8輌存在していたことが判明しています。そのうち、スユニ72 3・7・10・14・27・28の6輌は図面通りの窓配置で、6・32は1000o幅の広窓を備え、32については一段窓となっていました。また、50番代として区分されたスユニ72形のうち、51〜53・56・57は電車からの改造車で、電車時代の姿を色濃く残していたため、標準的なスユニ72形とは全く異なる形態となっていました。
 スユニ72形は、主に普通列車で使用され、昭和40年頃までの廃車・改造はわずかな輌数にとどまっていましたが、同年からオハニ61形を改造したスユニ61形が登場すると廃車が急速に進行し、昭和42年に形式消滅しました。

 マユニ78形は、3軸台車を備えるオハ78形(元オハ77形)をスユニ72形と同一図面で改造した形式で、昭和28・29年に29輌が登場しました。マユニ78形の変形車は少なく、ほとんどの車輌がスユニ72形の標準的な車輌と同じ半切妻の形態でしたが、原形の丸屋根を残す車輌も少数が存在し、マユニ78 9・21の2輌が確認されています。また、マユニ78の台車形式は1〜13はTR71、15〜29がTR73と区分されています(14は不明)。
 マユニ78形は主に普通列車で使用されたと思われますが、昭和33年の時点で1〜13が北海道に配置されるなど、北海道内での使用が目立ち、これらは急行・準急列車でも使用されました。マユニ78形は昭和39年頃まで廃車などは1輌も発生しませんでしたが、スユニ72形と同じく、この頃から廃車・改造が急速に進行し、昭和43年に形式消滅しました。
 このうち、丸屋根のマユニ78 21は、後にイベント用のスエ78 15として知られることになった車輌で、同車は昭和10年に二等食堂合造車スロシ38010として新製され、昭和16年10月にスロシ38 16に形式変更、昭和19年には調理室付三等車のマハシ49 21に格下げ改造され、戦災後の昭和22年に3等車オハ77 8として復旧し、昭和28年6月にはオハ78 8に形式変更、昭和29年3月には郵便荷物車マユニ78 21に改造され、昭和29年に門鉄局から尾久客車区に転属し、昭和33年の時点でも同区へ配置、昭和37年の時点では北海道内(池田)へ配置、といった経歴を経て、昭和41年3月に救援車スエ78 15に改造されました。
 その後、昭和61年7月に高崎でEF55が動態復元される際にイベント用として高崎に転属しました。この頃には雨樋や妻面の縦樋が撤去され、前位側妻面貫通路は塞がれた姿となっていましたが、後に雨樋・縦樋の再取付や前位側貫通扉の新設などの改造が行なわれました。この改造の後も、近年では希少な存在となった3軸台車のTR73や、戦災復旧車特有の二段窓など、多くの形態的特徴を残していましたが、長期間の休車の後、平成20年に解体となりました。

 本製品は戦災復旧郵便荷物車スユニ72形とマユニ78形のうち、原形の丸屋根を残していた車輌を模型化、TR23台車付のスユニ72 3・7・10・14・27・28、TR73台車付のマユニ78 21、TR71台車付(魚腹台枠と推定)のマユニ78 9のいずれとしても製作できます。




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