■マイテ49 2(スイテ37040)
マイテ49 2 ぶどう色1号・クリーム帯 (特急「はと」運用時)
マイテ49 2 淡緑5号 (特急「はと」等 運用時 ※青大将塗色化後)
マイテ49 2 動態保存車 ぶどう色2号・白帯
P-402 | T | 台車別・トータルキット | 2010年5月発売 \5,880 (本体 \5,600) |
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SP-402 | A | スイテ37040 ぶどう色1号・白帯 |
昭和13年以降 | 尾灯1ヶ,ガラベンあり, カーテンなし,冷房なし |
「富士」 など |
2010年11月発売 テールライト点灯 \25,200 (本体 \24,000) 当店のみ販売 |
B | マイテ49 2 ぶどう色1号・クリーム帯 |
昭和24年以降 (標記は28年以降) |
尾灯2ヶ(下側)※,ガラベンあり, カーテンあり,冷房付 |
「はと」 など |
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C | マイテ49 2 淡緑5号(青大将) |
昭和31年頃以降 | 尾灯2ヶ(上側),ガラベンなし, カーテンあり,等級表示灯あり, 冷房付(凝縮機変更) |
「つばめ」 「はと」など |
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D | マイテ49 2 ぶどう色2号・淡緑帯 |
昭和37年 | C53 復活運転 |
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E | マイテ49 2 動態保存車 ぶどう色2号・白帯 |
昭和62年以降 (グリーンマーク抹消後) |
尾灯2ヶ(上側), 展望デッキ手すり嵩上げ, ガラベンあり,カーテンあり, 等級表示灯あり,床下配置変更 |
イベント 列車など |
製品の特徴
●特急「富士」用展望車スイテ37040として登場し、戦後は特急「はと」で使用され、現役を退いて静態保存となった後に動態復活し、
現在もイベント用などで使用されているマイテ49 2を製品化。
■登場当初のスイテ37040、「はと」時代の冷房付の姿、現在の動態保存車のいずれにも製作可能。
■展望デッキはステンレスエッチング板製で、テールライト位置違いの3種類と、デッキ手すりが継ぎ足された動態保存車用の計4種類が付属。
■車内のカーテン、便所・洗面所などの仕切、床下の冷房装置各種は真鍮エッチング板で再現。
■側板は真鍮エッチング板製。妻板・屋根・ベンチレーター・床板・床下機器はプラパーツ。
[別途購入品]
KATO 片側絶縁車輪 11-600(8ヶ入) または片側絶縁黒色車輪 11-602(8ヶ入) 6ヶ必要
当社製 KP-060 プラ床板用TR73台車
当社製インレタ
□形式 ●KP-077 W寝台車2・展望車インレタ (マイテ49 2用 1輌分入)
●KP-083 富士(昭和5年)インレタ (スイテ37040用 1輌分入)
□窓下の1等標記・「車掌」標記(黒) (マイテ49青大将には不要) ●KP-073 等級標記・スニ41他インレタ(黒)
ほかに、内装部品「KPP-001 展望車用シート・寝台」(3セット必要)、「KPP-014 大型ボックスシート」の取付が可能。
マイテ49形は、昭和13年に特急「富士」用の一等展望車スイテ37040形として2輌が登場した形式で、全溶接・丸屋根の車体、洋風の内装となったため、内外共に近代的な展望車となりました。
「富士」には一等寝台車が連結されているため、展望車に区分室は不要なので、スイテ37040形もスイテ37000・スイテ37010形と同じく区分室は設けられず、車内設備もそれらと似たものとなりましたが、従来は後位側に設けられていた向かい合わせの腰掛は中央部に設けられ、定員は一等室16人、展望室11人となりました。また、展望車としては初めて冷房取付が考慮され、車内に風洞などが設けられていましたが、戦前には冷房取付は行われなかったようです。
昭和13年9月、スイテ37040形は「富士」のスイテ37000形を置換え、スイテ37010形と共に「富士」が廃止となるまで使用されました。なお、特急「鴎」のスイテ37050形の代わりに、スイテ37040形が連結された記録も残されています。
昭和16年10月の形式称号改正で、スイテ49形に形式変更され、戦後は2輌とも連合軍に接収されました。
スイテ49 1は、連合軍接収後に車内が大きく改造されていたこともあり、昭和27年12月の返還後、昭和29年3月に、特急で使用するための改造と近代化が行われ、一等室には一人掛けのリクライニングシートが14人分設けられ、この際に中央部の側窓の配置がほぼ等間隔になるよう変更されたほか、室内灯の蛍光灯化も行われました。この改造後に形式はマイテ49 1となり、「つばめ」で使用されました。
スイテ49 2は連合軍接収後もほぼ原形のままで使用され、昭和24年10月の返還後、新設の特急「はと」用として昭和25年に整備され、昭和28年6月の形式称号改正でマイテ49 2となりました。
マイテ49 1・2は昭和31年11月以降、車体色を淡緑に変更し、昭和32年10月には「はと」の受持ちが「つばめ」と同じ宮原となったことから、以後は両列車の予備車として昭和35年6月の電車化まで使用され、マイテ49 2は客車「つばめ」最終日の下り列車にも連結されました。昭和35年7月には2等級制への移行によってマロテ49 1・2となり、マロテ49 1は外国人観光団などの臨時列車用として使用された後、昭和39年3月30日に廃車されました。
マロテ49 2は、臨時列車などで使用されることもなく昭和36年2月15日に廃車となりましたが(書類上)、交通科学館で保存のために整備され、ぶどう色2号に淡緑帯の姿となり、昭和37年9月20・21日には、同じく保存の決まったマロネフ59 1などと編成を組んで、動態復元したC53 45号機に牽引されて吹田操−鷹取間などを走行しました。
その後、長らく交通科学館で展示されていましたが、国鉄分割民営化直前の昭和62年に車籍復活し、この際の整備で、一般の業務用エアコン取付、床下機器の大幅な変更、展望デッキ手すり嵩上げなどが行われ、現在もイベント用などとして使用されています。
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