■マユ345〜 (マユ35 14)

上……マユ35 14 (昭和28年頃)
下……マユ35 14 (昭和43年)

P-785 T 台車別・トータルキット 2011年6月発売
\6,300
(本体 \6,000)
SP-785 A マユ35 14ぶどう色1号 昭和23年以降
(標記は昭和27年以降)
■原形木製扉
■尾灯下側2ヶ所
「阿蘇」、
普通列車など
2011年7月発売
\19,950
当店のみ販売
B マユ35 14ぶどう色2号 昭和34年頃以降 ■後位側デッキ扉・
 貫通扉は木製高窓扉
■尾灯4ヶ所(円板なし)

製品の特徴
■マユ34のうち、半切妻の形態で増備されたマユ34 5〜19を模型化。
 これらは昭和24年に車掌室設置改造が行われてマユ35 1〜15となり、側窓1ヶ所が塞がれましたが、マユ35 14は最後まで
 この窓の閉塞が行われませんでした。本製品は、この形態としても製作できます。
 (マユ35 14と同工場で改造の13・15も同様の形態だった可能性があります)
■車体は屋根と一体で折曲げ済の真鍮エッチング板製。妻板は真鍮エッチング板製。
 ベンチレーター・床板・床下機器はプラパーツ。
■デッキ扉は原形木製扉の他に、晩年のマユ35 10・12に取付けられたHゴム扉(窓小)と、晩年のマユ35 14の木製高窓扉(中桟付)が付属。
■貫通扉は原形木製扉の他に、晩年のマユ35 14の木製高窓扉(中桟付)が付属。
■郵便差入口は、マユ35の多数派の位置(マユ35の図)で表現し、他の位置(3ヶ所)にも変更できる構成。
 また、郵便差入口は「側板より凹んだ形状で窓枠段差あり」「側板より凹んだ形状で窓枠段差なし」「側板と面一」の
 3種類の作り分けが可能な部品をセット。
※本製品は、車体外板以外はマユ35と同一のため、マユ35 14として製作の場合、内板に表現された郵便差入口の
 位置変更が必要になります。

[別途購入品](マユ34・マユ35共通)
GM製
 ●DT13台車
当社製
 ●KP-065 等級標記他インレタ
 ●KP-070 郵便車用インレタ1(切妻・10系)
   ※形式のインレタは現時点で未発売です


 マユ34形は、昭和12年に4輌、戦後の昭和23年に15輌が製造された郵便車です。基本的な設備は戦前製と戦後製でも同様でしたが、後者は、同時期に製造のオハ35形やオロ41形などと同じく、屋根端部の絞りが完全に省略されて「キノコ形」「食パン形」などと呼ばれる妻面形状となり、外観的には大きく変化しました。また、台車もコロ軸受のTR34となっています。
 マユ34形には車掌室は設けられませんでしたが、昭和23年12月から翌年3月にかけて車掌室設置改造が行われ、この際に戦後製のマユ34 5〜19は、戦前製のマユ34 1〜4とは別形式のマユ35形に変更されて、マユ35 1〜15となりました。車掌室は後位側の車端部に設置されて、車端から2枚目の窓の位置に仕切が設けられ、その部分の窓は閉塞されましたが、マユ35 14ではこの窓は埋められませんでした。マユ35 13・15もマユ35 14と同じ工場で改造されたため、これと同じ形態だった可能性があります。また、昭和24年12月に製造された郵便車オユ36形では、登場時から郵便差入口が設けられていましたが、それ以前の郵便車にもこれを設置することになり、マユ35形についても、戦前製の郵便車と同じように、側窓を1ヶ所閉塞して郵便差入口が設けられました。その取付位置は各車で異なるため、新製から数年で個体差が生じることになりました。
 マユ35形は、急行「阿蘇」「金星」「つるぎ」や普通列車などで使用されましたが、昭和44〜45年に6輌が廃車され、その他の車輌は昭和43〜46年には救援車スエ31形に改造されて形式消滅しました。全室の郵便車の場合、郵政省所有の車輌が大部分を占めていたため、他用途の車種への改造はほとんど行われませんでしたが、この形式は国鉄所有だったため半数以上が事業用車に改造されて、国鉄末期までその姿を残すことになりました。






■マユ35

上……マユ35 1 (昭和31年)
下……マユ35 12 (昭和38年)

P-786 T 台車別・トータルキット 2011年6月発売
\6,300
(本体 \6,000)
SP-786 A マユ35ぶどう色1号 昭和23年以降
(標記は昭和27年以降)
■原形木製扉
■尾灯4ヶ所(円板付)
「阿蘇」、普通列車など 2011年7月発売
\19,950
当店のみ販売
B マユ35ぶどう色2号 昭和34年頃以降
(マユ35 2001など)
■原形木製扉
■尾灯4ヶ所(円板なし)
■電暖トランス付
「阿蘇」「金星」「つるぎ」、
普通列車など

製品の特徴
■マユ34 5〜16に車掌室設置改造を行い、側窓1ヶ所が閉塞されたマユ35 1〜12を模型化。
■製品の特徴等はマユ34 5〜と同一。
■マユ35は、郵便差入口の位置・形状などが各車で異なりますが、完成品はマユ35 1と2001を基本にしています。





■オハ35 戦後前期形 雨樋なし

上……オハ35(原形扉)
下……オハ35 857(青15号)

P-773 T 台車別・トータルキット 2011年6月発売
\6,300
(本体 \6,000)
SP-773 A オハ35 戦後前期形 雨樋なし
ぶどう色1号
昭和23年以降
(標記は昭和27年以降)
■原形木製扉 2011年7月発売
\17,850
(本体 \17,000)
当店のみ販売
B オハ35 戦後前期形 雨樋なし
ぶどう色2号
昭和34年頃以降
(オハ35 2893など)
■原形木製扉
■電暖トランス付
C オハ35 戦後前期形 雨樋なし
青15号
昭和39年頃以降
(オハ35 2857など)
■デッキ扉は以下の3種類を混用
・木製扉(窓枠無・中桟付)、
・木製高窓扉(窓枠無・中桟付)、
・木製高窓扉(窓枠付・中桟付)
■貫通路塞ぎ板付属
 (取付には幌を外す必要あり)
■電暖トランス付
●オハ35 戦後前期形 雨樋なし ぶどう色1号の主な使用列車
 …… 「さくら」「銀河」、急行201・202列車(後の「みちのく」)(※以上の列車に連結当時は標記が製品と異なります)、その他急行、普通列車など
●その他車両の主な使用列車
  ……普通列車など

製品の特徴
■オハ35戦後形のうち、鋼板屋根で屋根端部に絞りのあるグループを、登場当初の雨樋と縦樋の付かない形態で模型化。
 (昭和30年頃以降、順次雨樋と縦樋の取付が行われましたが、最後までこの改造の行われなかった車両も存在しました)
■車体は屋根と一体で折曲げ済の真鍮エッチング板製。妻板は真鍮エッチング板製。
 ベンチレーター・床板・床下機器はプラパーツ。
■妻板は登場から間もない頃の、テールライトが下寄りの部品も付属。
■デッキ扉は原形木製扉の他に、木製扉(窓枠無・中桟付)、木製高窓扉(窓枠無・中桟付)、木製高窓扉(窓枠付・中桟付)が付属。
■大井川鉄道に現存する、オハ35 857製作用の妻面塞ぎ板が付属。

[別途購入品]
GM製
  ●DT13台車
当社製
 ●KP-065 等級標記他インレタ (ぶどう色1号のみ必要)
 ●KP-066 普通車インレタ1
 ■KPP-005 普通車用ボックスシート 取付可能


 オハ35形は、昭和14〜18年に581輌が、戦後の昭和21〜24年に720輌が製造された三等車で、戦後製造車のうち112輌は、戦前製丸屋根車とほぼ同形態でしたが(大半の車輌は全溶接でリベットなし)、オハ35 700以降の391輌(オハ35 700〜805・855〜1102・1108〜1144)は、屋根端部の絞りが簡略化された半切妻形となり、また、屋根布の入手が不可能になったため鋼板屋根に変更されました。ただし、屋根布を張った車輌も少数存在し、オハ35 986では雨樋・縦樋が付き、木製屋根車と全く同じ形態になっていましたが(実際に木製屋根だったかは不明、オハ35 986と同工場で3ヶ月前に製造の984は鋼板屋根)、オハ35 1007では雨樋・縦樋は取り付けられず、戦災復旧車と同じような屋根形状となっていて、こちらは後年に、鋼板屋根車に屋根布を張った車輌と思われます。また、鋼板屋根車の多くは当初、雨樋・縦樋のない簡素な形態で登場し(オハ35 965は当初から雨樋・縦樋付)、昭和29年頃から雨樋・縦樋の取付が行われたようですが、一部の車輌は最後まで当初の形態を残していました。
 台車については、コロ軸受のTR34が基本でしたが、戦災車のTR23などを使用した車輌も存在しました。
●戦災台車のTR11・TR23と、新製のTR34が混在 (TR11付の車輌は後にTR23またはTR34に取替え)
 オハ35 700〜725・750〜760・855〜866・943〜1018
 そのうち、855〜864はTR23、943〜949・952〜955・960〜962・965〜984・986・988・989・991は戦災台車(946・947・965・984はTR23)。前記の他に732もTR23。
●TR34使用(一部例外あり) オハ35 726〜749・761〜854(※806〜854は戦後後期形)・885〜942・1019〜1307(※1103〜1107・1145〜1307は戦後後期形)

 オハ35戦後前期形は、主要な急行列車のほか、臨時特急「さくら」でも使用されましたが、設備を大幅に改良した三等車のスハ43形などが増備されると、普通列車での使用が主体となりました。
 その後、昭和36年頃からは、主に急行で使用されるオハ35形などに対して近代化工事が開始されました。主な内容はスハ43形などと同じく、白熱灯の蛍光灯化、室内化粧板の変更(または塗り潰し)などで、昭和39年度からは便所・洗面所窓枠の回転窓(窓上段が内側へ倒れるタイプ)への変更も改造項目に追加され、昭和40年後半頃からは洗面所窓枠が上段の広い二段窓に変更されています。なお、昭和39年9月26日以前(規定上)に出場した近代化工事施工車の車体色はぶどう色でしたが、それ以降の出場車は青15号に変更されています。また、昭和45年度からは近代化工事に引き続き、体質改善工事が開始されました。オハ35戦後形のうち、雨樋・縦樋の取り付けられないまま近代化改造の行われた車輌が存在したかについては不明ですが、青15号化された車輌は存在しました(後述のオハ35 2857)。
 このほかの改造車としては、緩急車化改造されてオハフ33形に編入された車輌や、和式客車オハ80形(→オロ80形)、荷物車マニ36形に改造された車輌も存在しました。
 オハ35戦後前期形の廃車は昭和45年から始まり、最末期まで残ったオハ35 2855・1080は昭和61年1月に、オハ35 2758・2772・2774・2879・2940・2957・3015・1028・1040・1075・1109・1110は昭和61年3月に、オハ35 985・3072は昭和62年2月に廃車となりました。なお、オハ35 857(元オハ35 2857)は大井川鉄道で現存し、この車輌はオハ35戦後形唯一の動態保存車であるとともに、雨樋・縦樋のない戦後形の製造当初の姿を残す、貴重な存在となっています。





■スハ42 鋼板屋根 雨樋なし (オハ35戦後後期形 鋼板屋根 雨樋なし)

スハ42 鋼板屋根 雨樋なし ぶどう色1号(SP-775A)

P-775 T 台車別・トータルキット 2011年6月発売
\6,300
(本体 \6,000)
SP-775 A スハ42 鋼板屋根 雨樋なし
ぶどう色1号
昭和23年以降
(標記は昭和27年以降)
■TR47台車
 (TR40の代用)
■原形木製扉 2011年7月発売
\17,850
(本体 \17,000)
当店のみ販売
B スハ42 鋼板屋根 雨樋なし
ぶどう色2号
昭和34年頃以降
(スハ42 2120・2122など)
■Hゴム扉窓小
■電暖トランス付
C オハ35 戦後後期形
鋼板屋根 雨樋なし
ぶどう色1号
昭和22年以降
(標記は昭和27年以降)
■DT13台車
 (TR34の代用)
■原形木製扉
D オハ35 戦後後期形
鋼板屋根 雨樋なし
ぶどう色2号
昭和34年頃以降
(オハ35 1310など)
■木製高窓扉(窓枠あり)
■電暖トランス付
●スハ42 鋼板屋根 雨樋なし ぶどう色1号の主な使用列車
  ……「へいわ」「つばめ」「はと」「銀河」「彗星」、急行1・2列車(後の「霧島」)(※以上の列車に連結当時は標記が製品と異なります)、その他急行、普通列車など
●オハ35 戦後後期形 鋼板屋根 雨樋なし ぶどう色1号の主な使用列車
  ……「さくら」「銀河」、急行1・2列車(後の「霧島」)、急行101・102列車(後の「青葉」)、 急行201・202列車(後の「みちのく」)
     (※以上の列車に連結当時は標記が製品と異なります)、その他急行、普通列車など
●その他車両の主な使用列車
  ……普通列車など

製品の特徴
■オハ35の改良増備車スハ42の鋼板屋根車を、登場当初の雨樋と縦樋の付かない形態で模型化。また、DT13台車を取付ることで、
 オハ35戦後後期形 鋼板屋根雨樋なしとしても製作可能。
 (昭和30年頃以降、順次雨樋と縦樋の取付が行われましたが、最後までこの改造の行われなかった車両も存在しました)
■車体は屋根と一体で折曲げ済の真鍮エッチング板製。妻板は真鍮エッチング板製。
 ベンチレーター・床板・床下機器はプラパーツ。
■デッキ扉は原形木製扉の他に、木製高窓扉(窓枠・中桟付)、Hゴム扉(窓小)が付属。

[別途購入品](台車以外オハ35・スハ42共通)
GM製
  ●TR47台車(スハ42) またはDT13台車(オハ35)
当社製
 ●KP-065 等級標記他インレタ (ぶどう色1号のみ必要)
 ●KP-066 普通車インレタ1
 ■KPP-005 普通車用ボックスシート 取付可能


 オハ35形は、昭和14〜18年に581輌が、戦後の昭和21〜24年に720輌が製造された三等車で、戦後製造車のうち112輌は、戦前製丸屋根車とほぼ同形態でしたが(大半の車輌は全溶接でリベットなし)、オハ35 700以降の391輌(番号は一部、連続しない場合あり)は、屋根端部の絞りが簡略化された半切妻形となり、さらにその後製造された217輌は、屋根端部の絞りが完全に省略されて、後のスハ43形などの完全切妻車との過渡的な形態となり、この形状の妻面は「キノコ形」「食パン形」などと呼ばれました(本製品はこのタイプで、「オハ35戦後後期形」と表記しています)。昭和23〜25年には、このオハ35形の台車をウイングバネ式のTR40としたスハ42形が登場し、140輌が製造されました。
 オハ35戦後形、スハ42形のいずれも、製造工場と時期の違いで木製屋根(布張り)と鋼板屋根が存在しましたが、鋼板屋根車は当初、雨樋・縦樋のない簡素な形態で登場し、昭和29年頃から、雨樋・縦樋の取付が行われたようです。しかし一部の車輌は、最後まで当初の形態を残していました。
 オハ35戦後後期形(キノコ形妻面の車輌)とスハ42形の、鋼板屋根車と木製屋根車の分類は下記の通りです。
●木製屋根……オハ35 1103〜1107・1145〜1159・1193〜1261・1298〜1307 計99輌  スハ42 1〜37・78〜117・126〜130 計82輌
●鋼板屋根……オハ35 806〜854・1160〜1192・1262〜1297 計118輌  スハ42 38〜77・118〜125・131〜140 計58輌
 ※オハ35 833〜839を木製屋根車と分類してる資料もありますが、オハ35 2833・2835は鋼板屋根なので、恐らく7輌とも鋼板屋根と思われます。
 ※昭和24〜30年に、他形式との台車交換でスハ42形からオハ35形になった車輌も存在。(スハ42 50・87・136〜140→オハ35 695(鋼板屋根)・1308(木製)・1309〜1313(鋼板))
 ※スハ42 63は昭和30年の事故後、オハ46に近似の完全切妻の形態で復旧。

 オハ35戦後形、スハ42形は当初、主要な急行列車で使用されただけでなく、特急「へいわ」「つばめ」「はと」、臨時特急「さくら」でも使用されましたが、設備を大幅に改良した三等車のスハ43形などが増備されると、普通列車での使用が主体となりました。
 昭和34〜36年には、スハ42形のうち61輌に対して近代化と軽量化が行われ、オハ36形となりました(番号はそのままなので空番あり)。主な工事内容は、窓枠のアルミサッシ化、客用扉を下降窓付のものに取換え、座席をナハ11形と同じものに取換え、客室灯の蛍光灯化、室内化粧板の変更などで、当時最新のナハ11形に準じた設備となって、この改造の行われた車輌は、再び急行列車で使用されることになりました。
 その後、昭和36年頃からは、主に急行で使用されるオハ35形などに対して近代化工事が開始されました。主な内容はスハ43形などと同じく、白熱灯の蛍光灯化、室内化粧板の変更(または塗り潰し)などで、昭和39年度からは便所・洗面所窓枠の回転窓(窓上段が内側へ倒れるタイプ)への変更も改造項目に追加され、昭和40年後半頃からは洗面所窓枠が上段の広い二段窓に変更されています。なお、昭和39年9月26日以前(規定上)に出場した近代化工事施工車の車体色はぶどう色でしたが、それ以降の出場車は青15号に変更されています(オハ36形・スハ40形も昭和39年9月頃以降、順次青15号化)。
 昭和45年度からは近代化工事に引き続き、体質改善工事が開始されましたが、スハ42形、オハ35戦後後期形のうち、雨樋・縦樋の取り付けられないまま近代化改造の行われた車輌や、青15号化された車輌が存在したかについては不明です。
 このほかの改造車としては、緩急車化改造されてオハフ33・スハフ42形に編入された車輌や、和式客車オハ80形(→オロ80形)に改造された車輌も存在しました。
 オハ35戦後後期形の廃車は昭和40年代後半以降に急増し、最末期まで残ったオハ35 816・2834・2835・2840・1201は昭和61年1月に、オハ35 1155・1157・3274は昭和61年3月に廃車となりました。スハ42形の廃車の進行はオハ35形よりも遅く、昭和55年の時点でも半数程度が健在でしたが、最末期まで残ったスハ42 3・7・24〜26・2039・52・69・86・94・2120・2122〜2124は昭和61年3月に、スハ42 68・76は昭和62年2月に廃車となりました。




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