新仕様二重屋根客車(PEWシリーズ)の構成はこちらをご覧ください。

■急行 7・8列車昭和9年 7輌編成 完成品
 S34 2011年6月発売  特別価格 \120,750(本体)\115,000



 [製品の主な特徴]
●戦前、東京−下関間で運行された、一等寝台車連結の急行7・8列車の、昭和9年の編成を7輌編成として再現。
 そのうち4輌(スユ36000・スシ37700・マロネ37300・マイネフ37200)が、窓の天地寸法の小さい初期鋼製客車となる編成としています。
 また、スハ32600・マロネ37300を増結することで、東京−京都間のフル編成にできます。
 (京都−下関間に連結のオイテ27000は発売予定)
■マイネフ37200のテールライト点灯。


急行 7・8列車 7輌セットの客車

 スユ36000

 スハ32600

 スハフ34200

 スシ37700

 スロ30800

 マロネ37300

 マイネフ37200

 急行7・8列車は、明治末期に新橋−下関間で運転を開始した急行を起源とする、東京−下関間を結ぶ一・二・三等急行で、当時の特急「富士」と同様、下関から関釜連絡船に接続する国際連絡列車でした。
 明治45年(1912年)に、新橋−下関間に初の特急、1・2列車(後の「富士」)が新設されましたが、この際に初の展望車ステン9020形が新製されて、1・2列車と、新橋−下関間急行の、それぞれ昼行区間に連結されるようになり、1・2列車は東海道線内、急行には山陽線内で連結となっていました。
 急行7・8列車は、昭和に入ると鋼製客車への置換えが進められ、編成は先頭から、郵便車、三等車(3輌?)、三等緩急車、食堂車、二等車、二等寝台車2輌、一等寝台緩急車(マイネフ37200形)の順で、京都−下関間では一等展望車オイテ27000形が連結されるため、上り下り共に編成後部が一等寝台緩急車となるよう組成されていました。なお、「富士」の展望車が鋼製車に置き換えられるまでは、7・8列車と「富士」でオイテ27000形を共通運用していましたが、それ以降はオイテ27000形が7・8列車専用になりました。また、この列車は常に乗客が多かったため、増結されることが多かったようです(上に掲載の編成も三等車を増結していると思われます)。
 昭和9年12月1日改正で、東海道・山陽本線以外の一等寝台車が廃止されましたが、7・8列車のマイネフ37200形は連結を続けられ、数少ない一等寝台車連結の編成を保っていました。また、この改正の際に三等寝台車スハネ30100形が1輌連結されています。昭和10年11月の呉線全通後は7・8列車は呉線経由となり、急行として唯一の展望車連結も続けられましたが、昭和13年10月頃から「富士」にスイテ37040形の使用が開始されてスイテ37000形が不要となったため、7・8列車のオイテ27000形がこれに置き換えられました。
 昭和16年7月には三等寝台車の連結が廃止されましたが、昭和17年11月15日改正で、関門トンネル開通により運転区間が東京−鹿児島間に延長され、列車番号は3・4列車に変更されました。昭和18年10月1日には運転区間が東京−下関間に短縮されて15・16列車となり、長年この列車の専用形式として連結されてきたマイネフ37200形が外されましたが、昭和19年4月1日にこの列車自体も廃止となりました。


製品紹介に戻る
KINGS SHOP ONLY MENUに戻る

客車の製品リスト (PEシリーズ他 セット)
客車の製品リスト (PEシリーズ [切妻])
客車の製品リスト (PEシリーズ [丸屋根])
客車の製品リスト (車体曲済み客車)
客車の製品リスト (PEWシリーズ[新仕様二重屋根客車])

トップページに戻る
inserted by FC2 system